絵は才能なのか?

絵は才能なのか?

「絵は才能なのか」という問いに対して答えるのは難しいです。「才能」という定義が難しいからです。ただ、確実に言えることは、誰しも今の自分を超えられるということです。


1 MBS毎日放送企画 <24時間で絵は本当に上手くなるのか?>


 たしかにこのディレクターさんの画力は高いとは言えません。しかし誰しも、私でさえ、絵を描き始めたばかりはこんなもんです。


 収録後、コツを少しずつ掴み始め、彼の絵画の才能は開花し始めました。24時間という短い時間だけれどもやはり上達します。これを繰り返していくことで、自分でも想像できない境地に達することができます。

2 選択が人生を作る



 私の絵画人生の最も大きな幸運は一流の画家である父の教育を受けられ、一流の作品に触れてこられたということです。
 私も絵を描き始めたばかりの頃は全然上手く描けませんし、周りの上手い人と比べることはしませんでした。もし周りと比べていたら父という圧倒的なレベルの前で挫折していたんじゃないでしょうか?ただひたすらに自分が描きたい絵が描けるように謙虚に自分と向き合っていました。
 
 高校卒業後は父から絵を学ぶか、東京芸術大学に進学するか考えていました。人生は選択の積み重ねで決まっています。この時、東京芸術大学に行っても父のような一流の画家に会えないと分かっていたし、毎年かなり多くの人が美術大学を卒業して社会に出たとしても、彼らのほとんどは絵の世界から消えていることを知っていました。私の選んだ選択は世間一般から言われる学歴を無視した邪道でした。ただもちろん美大を出て自分の好きな絵を描けている人も大勢いますからこの選択は自分の状況に合わせて考えればいいと思います。

 
 人は遠くにあるものに憧れ、すごいと思いがちです。私はイギリスやフランス、中国などのに留学しましたが、父の作品に及ばないということを芸術を多く学べば学ぶほど実感しました。客観的に本質を見つめた結果、こんなに近いところに一流のものがあることに気づけたのも私の成功体験です。


 20歳の時、新潟三越画廊での展覧会では作品が完売し、ここで自分は画家だと確信できました。海外の大学に行っていましたが、ほとんどのひとが私の学歴について聞いてきませんでした。その時学歴ってどうでもいいんだなと、描いている絵が大切なのだと感じました。
 
 今は東京や大阪、新潟などの各画廊などから展覧会をしてほしいという依頼が来たり、雑誌やテレビの取材を受けたりもします。海外では大きな水彩画展覧会に招待されたり、雑誌に掲載されたり、影響力のある画家として審査員もしています。

 だだ僕の目標は自分の描きたい絵を一生描いていくことです。知名度が高くなることにはあまり興味がありませんが、生徒の皆さんからの信頼が上がるなら価値があることだとも思っています。ただ、いらっしゃってる生徒の皆さんは知名度よりも本質を見て良い絵を感じられる目を持っているように感じます。


3 絵が上達するために


 私自身今までを振り返りどのように絵が上達してきたか考えました。大きく分けて3つあります。

①先生レベル

 
 3m飛ぶことのできる高跳びの選手は3mの跳び方を知っているので、その人から教わると、もしかしたら2m跳べるかもしれません。1mしか跳べないアマチュアに教わると30cmも跳べないかもしれません。また逆に間違った跳び方をして怪我するかもしれません。先生のレベルは高ければ高いほど良いです。


②生徒のレベル


 
 そこに在籍している生徒の絵のレベルと自分の絵のレベルは比例します。自分の収入が身近にいる5人の平均でできているように周りからの影響はかなり大きいです。絵が上手い生徒が多いところは当たり前に教育が良いのです。

③効率


 歳だけ重ね貫禄はあるが絵が大したことない先生は要注意です。なぜならそんなに時間かけたのにそこまでしか到達していないということは不効率で上達する方法を知らないことになります。逆に若くして成熟した先生は上達する過程を最短距離で経験したことになります。その最短距離で上達した経験をカリキュラムから学ぶことが最も効率がいいです。

4 下町の絵画教室AZUMAs 


 私は一年前に妹を連れて大阪に引っ越してきました。この下町に絵画教室を作って一年しか経っていませんが、徐々に生徒が増えてきています。中には兵庫から片道一時間以上かけていらっしゃる方もいます。知らぬ間に雑誌やテレビの取材を受けたり、Google検索ランキングでは一位にもなっています。


 自分は全くの初心者だから、簡単なことを教えてくれる教室に行こうと思ったならばそれは自分で自身の可能性をつぶしていることになります。もし、自分の子供がいたとして、自分が子供だとして誰から英語を学びたいですか?もちろん第一母国語のネイティブスピーカーの先生から学びたいはずです。かたごとのカタカナ英語を話す人から学びたい人はいないはずです。もしそのカタカナ英語を話す人から学んだならば、大人になってからその発音を直すのは一から学ぶより困難です。
 

 私は幼少期から画家である父から絵を学んでいたので絵の世界ではネイティブスピーカーです。これまで中学校、高校、大学、カルチャーセンター、自分の教室で多くの生徒さんを指導してきました。生徒さんは美術大学、高校、中学などの講師、イラストレーター、デザイナー、美大卒業生、学生、お年寄り、子供、初心者など幅広いです。子供だから、初心者だからといって簡単なことだけを教えることはしたくありません。ネイティブの発音を直接教えたいと思っています。
 


 自分が好きな絵と良い絵は必ずしも一致しません。好きな絵は自分の身の回りにある絵になる傾向があります。ただ芸術を学ぶにあたって好きな絵だけ学べばいいかと言われるとそうではないと思います。本当に絵が上手くなりたいなら、幅広い分野の芸術に触れる必要があると思います。音楽の世界でJ-POPしか知らない人とJ-POPやK-POP、ジャズ、クラッシック、演歌など幅広いジャンルを知った人が同じ曲を歌ったなら、その歌われた曲の深さに圧倒的な差が出るはずです。私は日本の芸術だけだけではなく、海外の芸術を学び、デッサンや水彩画、水墨画、油画、日本画、版画、デザイン、イラスト、視覚芸術など幅広い分野を勉強してきました。その幅広い知識をこの下町の絵画教室AZUMAsでは指導しています。一流の幅広い芸術を学びそれぞれの分野の良いところを取り出し創作された作品は深く素晴らしいものです。

5 長い人生の後半に残るもの


  私はバスケが好きです。毎日シュートしていると、前より入るようになり、シュートの能力が昔より上がっていると感じました。ただ最近買ったばかりの貴重なバスケットシューズに傷がついていることに気づいてしまったのです。その時は落ち込みました。でもバスケは好きだからやり続け半年が経った結果、そのバスケットシューズはぼろぼろになってしまいました。この時感じたのは物は消耗品だと。あらゆる物は消耗するんだと。自分で稼いだお金だって、積み上げてきた仕事のキャリアだって退職後いつかはなくなる。無くならず伸びていくのは自分の能力だと思いました。これから長い人生の中で死ぬまで描き続ける絵の能力は伸び続け、歳を重ねても味が出てきて永遠に進歩します。この進歩するものに投資をすることが私にとって最も価値のあることだと思いました。これからも楽しく老後、絵を描いて過ごせることや、絵がどんどん上手くなることを考えると歳をとることもそんなに悪くないなと思いました。


最後に



 絵は才能かという問いに対して人それぞれ成長の差はあるけれども、その今、自分が置かれている状況の中で最も良い選択をすることが大切だと思います。年齢に関係なく才能は開花し成長します。また周りと比べるのではなく、皆それぞれが個性のある素晴らしい作品を作り出せます。

 
 長い人生の中で人は何のために生きるかという問いについて考えるかもしれない。社会、使命、大切な人、子孫繁栄のためとかいったいろいろな大義があるかもしれない。ただこの現代において多くことに意味を持たせようとする傾向がある。意味のないものを嫌う傾向がある。人間が生きる意味、そればかりを考えているようではいけない。その状況を変えなくてはいけない。何かに夢中になり、自分の人生に満足している時、そんな難しいことは考えない。嫌な上司、人間関係のトラブル、小さな悩み、儚い人生の無常、そんなことで悩んでる暇はない。つまらない人を相手にしている余裕もない。今、僕らは自分の人生を生きているんだ。


 自分が好きな絵という芸術が仕事になればとても価値のあることだ。けれども絵を描くことを通して自分の人生に没頭し、満足できるならばそれは何よりも価値があると思う。今必死に何かに夢中になり、没頭できていないのならそれを変えなくてはいけない。絵という芸術はその人の人生を変える力を持っている。絵というツールを使って自分の人生に満足できる人生の達人にならなくてはいけない。少しでも興味がある、好きだという感情が生まれるのは特に大人になってからでは決して容易ではない。もしその気持ちが少しでもあるのならばそれを大切にして、長い人生の中で絵という生き甲斐を作ってください。

東俊達
(猫のように自由にありのままに生きたいですね。)
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大阪絵画教室AZUMAs



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